たまに役にたつ、と思う

日常にある気配を

月とコンディションと、あれこれ

月の満ち欠けでやられます。

 

ちょっと敏感な方ですし。

とにかく満月と新月はしんどいです。

うちの家族もみんな、自覚しているかどうかは別に、各々すごく反応しています。

陰に向かうタイプもいれば、陽を振り切ってすごい荒くれるタイプもいる。

中心にいる私は私で、調整しながら自分も結構やられているという。

月が苦手。私自身が月みたいな人間なのでなおのこと。

 

さて、そこで満月や新月での過ごし方を。

ひたすら緩めてくださいな。

多分眠いし、イライラするし、悲しいし、焦燥感だし、不安だし、泣きたいし、悲観するし、、、、で。

それに流されるというんでなく、とにかく緩める。

ダラダラするもよし。遊んでもいいけど、繊細なタイプや内向型は1人遊びを推奨します。

他人と絡むなら、リラックスできる人。刺激的なタイプは避けた方が無難かな。

 

余談を。

スピリチュアルな人って月、好きですけど、スピリチュアルグッズを買い求めるなら、それを持つことでパワーアップ!より、アンカートリガー的役割のあるものをぜひ。

ロジックである程度語れる方が自分の中で「納得🟰刷り込み」ができます。

プラセボ効果って聞いたことがあると思いますが、プラセボも4回自分(脳)に納得させたら、そこから自動運転・効果が発動するというような意味合いの論文があります。

私自身の本業は科学的なことで、メンタルだとか心理を使うので、そんな類の資料はストックがたくさんあるのですが、意識化では知っていても、潜在意識・脳がそうだと「納得」しますと、心身がそのように影響されるのです。

ですから、お守りみたいなものも、カバンにずっとしまっておくものより、手に取る回数の多いものや目につくもの、五感で感じるものの方が良いとおもいます。

アスリートなんかが精神統一に音楽を聴くのは納得の理由です。

そして、ゲンカツギ。これはなかなか良い習慣です。

ただし、そこに成功体験が必要です。

意図して、成功体験を持ってきて、脳に教えるというのもまた良し!ですね。

 

 

パワスポの勘違い

神様と話なんてできないけど。

 

すごい能力者の方、ブログ拝読するに、フラットな方っていないなあ、と。なんていうか、選ばれた人、みたいな印象を、ごく普通の方に植え付けるような、選民的な。

 

私は思うのです。

神様と会う場所です、神社やパワスポと呼ばれるところは。

でもその神様って、自分の中。

ようは、自分の中の神聖さだったり、叡智だったり、良心に会いに行く場所。

特段そういう勉強をしているわけでも無いし、神話にもさして興味などなく。

ただ、生物がここに集合して生命が確かに「在る」神秘だとか、自分というあってないような存在だとか、そういうことは子供の頃から知っていました。

別に論破する気もないので、持論など展開しませんが、神様を引き出す方法をここに書いておこうと思います。

 

いろんな生命やいろんな人生、いろんなイノチに触れること。そして感じること。

これが極意かな。

不思議なことなんていっぱいあります。でも別に深追いや意味付けなんてしません。

だって「そうだから」。

家系の先代もそういう人だった。だから。

 

心根です。神様として権化は、自分の中に。その神様って、心根に。

ですから心根が腐っていると、まあ、そんな感じで。そんな神様しか会えないでしょう。

個人的な願いを叶えてくれることってないと思うのです。正確に言えば、生命の営みや自然のリズムや刻み時が歯車の如く回るならば、それが個人的な願いが叶ったという結果になる.ただそれだけ、淡々としています。感情なんてないのです。

何かの構成要素として、先へ進むのは、歯車の一部にならないと。

無になるのが本当に一番です。

思い出すから。自分の役割みたいのを思い出す。

それが、よくいう使命、みたいなものです。これが歯車の歯。

我欲がダメって言われる先人の知恵って、そういうことではないでしょうか。

純粋な願いって我欲ではなく。それはすごく大切だし、生まれたからには大事な責務なんだと思う。

ただ、我欲って、いろいろな後付けの価値観や評価基準や価値付けの末のそれ、なんだよね。

時代や人によって、引き出される欲は。

純粋な欲と違うんです、それ。

欲張りでもいい、でもそれは、純粋な願いで在ること。

 

其処に崇高なナニカが居るのでは無く、崇高なエネルギーなんですね。

エネルギーの種類をおそらく擬人化しているのかなと。

私はその土地がどんなものか、どんな気か、まあまあわかります。

時たま、住宅街の合間にとんでもないエネルギーの穴みたいのがある。

無、みたいな、ゼロ磁場に近しい気の土地もある。

あれがいいのか悪いのか、立ってみないとわからないのですが、割と多く原生林や原始林の現存する北海道はよくあります。

多くを端折りますが、再出発や再起するには北海道、いいですよ。

ただ、住む人は選ぶね、元々生まれた人は別として。

かなり、人を選ぶ土地ではあります。

北海道繋がりで言いますと、北海道神宮の一つの鳥居は縁切り最強です。

なんでしょう、ここまで土、土地の力が強いところってそう無い気もする。

人力とか人為的ではないので、無感情です。だから怖い。

 

よくね、チカラのあるとされる方が、呼ばれたからって、パワスポとかあちこち行きますね。

でも、ちょっと違うと思う。その真意。

呼ばれないあなたはそのエネルギーと共鳴しないってだけでね。

呼ばれる選ばれるとかの次元で無く、あなた自身が必要としていないだけ、です。

純粋に行きたいと思い、行こう!って閃くところは大概行けます。

でも、余計な思惑や欲を出すとダメね。

私など、全く思い通りにならない、そういう意味では。

 

うまくいかないなあって人、ちょっとね、自分の中をクレンジングしたらいいと思うよ。

情報も思い込みも、なんなら経験も一回手放し。手離し。

 

 

ガス抜き

本業ではないことですが、視ることができます。

 

生育環境から人生を通じて、変な経験が積み重ねてきました。

本業も、意識的に望んだ道でも無く、偶然の積み重ねで其処へ。

なんでそれをやっているのか、自分でもわからず、数十年と。

 

ここでは、副産物的に得た変な能力と、家系的・使命的・運命的なその妙な能力で視る、アレコレを書いていこうかなと思います。

亡くなった父親から連絡が来るとか、かといって、幽霊なんかはみないとか。

それでも、ヒトを視ることができるとか、時々人の人生をチューニングしたりするとか。

派手さは全く無いです、皆無。

ただ、「わかる」んです。